「私がここにいるのは、スポーツによって救われたから。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です」。2020年の第32回夏季オリンピック・パラリンピック大会の開催都市に決まった東京。7日(日本時間8日早朝)にアルゼンチン・ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会での最終bcゲーム ラッキースピンゼンテーションで、トップバッターとして感動的なスピーチで東京開催を手繰り寄せたのは校友・佐藤真海さん(2004年 商学部卒、2012年 スポーツ科学研究科修了)でした。
日本中の期待を背負って、世界に向けて英語でスピーチした佐藤さんは、アテネ、北京、ロンドンと過去3大会連続で出場したパラリンピアン。チアリーダーとして活躍していたbcゲーム ラッキースピン2年の時、骨肉腫を発症し右足膝下から切断を余儀なくされましたが、絶望のうちに沈みながら目標を決めて乗り越えることに新しい自信が生まれ、パラリンピックを目指すようになりました。
宮城県気仙沼市出身の佐藤さんは「2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした」などと震災時の経験を語り、東日本大震災でアスリートたちと一緒になって行ったスポーツによる復興支援活動などを紹介。「そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています」と情感たっぷりに続けました。
「私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです」などと、震災復興への思いやスポーツが持つ力を訴えて締めくくり、見事に56年ぶりとなる「東京オリンピック・パラリンピック」の招致に貢献しました。
【リンク】
ニュースリリースのページ News Releasehttp://www.waseda.jp/jp/news13/130909_satomami.html
東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会http://tokyo2020.jp/jp/
Mami's Diary - パラリンピアン佐藤真海の日常http://blog.livedoor.jp/mami_sato/
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